私の2人目の男。
前の記事で書いたように私はKATーTUNにハマり見事ジャニオタデビュー👋言うて在宅オタクでした…
まぁ小学生の可愛いオタクて所です。
普通にドラマみて有閑倶楽部のいってきーいってらーが友人の間で流行ったりみたいな?🤭
というようにふわっとしたジャニオタをしていた私にまたもや電流が流れるのです。。。
そう。それは小2?
Myojoや少クラで見ていた中島裕翔くん。
キラリと光るものがあったのでしょう。たちまち心惹かれていくのです。。。
だがしかし入りは裕翔くんだったものの本当にすぐにだいたい横にいたちっこいのに心奪われるのです。。。
そうそれが私の1番長く愛を注いだ人山田涼介なのです。
もはや始まりはしっかりとは覚えていません。気づいたら心奪われてたパターンです。
彼らがデビューしたしないもしっかり知ったのは4年生とかでしょうか?
とりあえず好きだった!変わらず赤西仁かっこいい〜とはなってたけど山田涼介は好き!だった。
ここで私が山田担にシフトチェンジします。
初めて買ったCDはHey! Say! JUMPの冒険ライダー/Your Seed の通常盤。
なんで通常盤を、買ったのかいまだ真相にはたどり着けておりません。
本当に大好きで初めてコンサートに行きたい!て思ったグループでした。
だけどもだけどここで母親がネックになってくるのです。母は大人になるまでコンサートに行けなかった人というのもあり小学生の私。一筋縄には行きませんでした。そこで母が提案したのがこちら。
「中学生になっても好きだったら行かせてあげる」
と言うものでした。私はその言葉を胸に成長しました。
途中時代もあり48グループにハマりかけたりニコニコ系にもハマったりしつつ迎えた中学入学。
そこで幼稚園は同じだったけど小学校が違かった子と再開します。その子が私のジャニオタ人生を変えたKちゃんでした。
Kちゃんはお母さんが松本担Kちゃん自体が櫻井担と言うアラシック親子でした。その子が教えてくれたジェーチケ?であってるかなこれ?メール会員のやつでチケットが取れるやつがあってそれで申し込んだのが全国へJUMPツアー。
この時すでに山田担になってから6年の時が経っていました…小学校終えてるやん…。
初めてのコンサート何もわからずKちゃんと母と行きました。(この時Kちゃんは知念担になってた)
いやぁ〜とりあえず山田涼介てこの世にいるんだて
心から思った。。。まじであの人CGだと思ってた。。。本当に行けた事への嬉しさと共に10人のHey! Say! JUMPを見ることが出来なかった悔しさを覚えた14の初夏でした。。。
山田担としての事書くとどうしても長くなるのでそれは分けよう。。。うん。。。
どっかしらで山田担として生きてきた約12年の事をまとめたいと思います。。。